あやめちゃんを救う会

エレファントカシマシDB 管理人の日記 200305

30th ANNIVERSARY TOUR 2017

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『敗北と死に至る道が生活』その260
世の中は入力・処理・出力で成り立っている。耳で聞き、脳で判断し、声で出す。会話も入力・処理・出力で成り立っている。コンピュータも入力・処理・出力で成り立っている。検索キーワードを入れる、サーバーが検索処理をする、一覧表で結果を表示する。

神様は地球に人間を入力した。地球は今、かなりの勢いで処理中である。果して何を出力しようとしているのだろうか。虚しさか。故に悲しさか。俺は知らない。見たことも無い。100年後の地球がどうなろうが俺の知ったことではない。

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『敗北と死に至る道が生活』その261
 あなたは夕陽を見て少しブルーだろうか。私は少なくともオレンジだなぁと思う。

 人は夕陽を見ていると悲しくなる。日の出を見て悲しくなる人はいないだろう。むしろ「今日も一日始まるぞ」と元気な気分にもなりがちだ。糞の切れが悪くてもだ。便秘がちの女どもは糞が切れずにケツめどが切れるらしいが。「切(せつ)ない」と「切れない」を勘違いしているからだ。まぁそんなことはどうでもよろしい。

 そんなことより、私は「進行方向に対して前を向いていたい」と常に思っている。スキーの6人乗りゴンドラなんかに乗る場合順番によっては進行方向に対して後ろ向きに乗らなければならない時がある。私はそれを考えただけで気持ち悪くなるのだ。

 電車もそうだ。電車は折り返し運転するからシートが逆を向いてる場合がある。ましてや4人掛けボックスのうち2席は常に後ろ向きだ。で、実際そんな状態で座らなければならない時、私はたちまち元気がなくなる。ピクニック気分もそれまでだ。

 「ぶらんこ」も前から落ちていく分にはいいが、戻るときにへその辺りがキュンとなる。へそもブルーなのだ。「ぶらんこ」なんてここ数ヶ月乗ったこともないが。

 我々が朝日を見ている場合、地球は太陽に向かって進んでいる。そして夕陽を見ている時は前章で述べた通り進行方向に逆らいつつ見ているのではないだろうか。

 そして驚くべきことは、夕陽を見ているとブルーな気分になるのは、この「進行方向に対してどちら向きか」ということとは、もしかしたら何ら関係が無いということだ。更に驚くべき事に「太陽自体は夕陽を見たことがない」ということである。だからあんなに眩しいのだろう。日本で沈む夕陽はブラジルでは朝日(サンバのリズム)だからで、太陽がブルーになったら涼しげだからでもあるのだ。


『敗北と死に至る道が生活』その262
部屋を片付けていたら、2001年6月3日の日記が出てきた。以下当時の原文のまま。



 ロックミュージシャンがいい人である必要なんか何処にもない。

 宮本浩次という名のロッカーが人間的にどうのこうの問われる位置にいないことは明白である。しかし明白であるこの事実も数パーセントの人間にしか受け入れられていない。

 にわかには信じがたいが、宮本浩次自身がこの問題に直面してしまっている気がしてならない。私がそう思ったのは、先日の札幌公演(2001年6月3日の日曜日)である。

 Zeppというライブホールはスタンディングである。当然客との距離が物理的に近い。最も接近したら1mくらいではないだろうか。ここで勘違いしてしまうのが”精神的にも近いんじゃないか”ということである。エレカシはそんなフワフワしたバンドではない。キロロじゃないんだから。

 客の「髪伸びたね」の一言に宮本浩次はキレた。別に「髪が伸びたこと」自体をとやかく言われたことがイヤだったのではなく、「気安く話しかけられ進行を邪魔される」ということがイヤだったのだろう。「髪伸びたね」の一言くらい無視すれば済む訳であって、実際にはその他いろいろ馴れ馴れしく話しかけられてきた積み重ねで爆発したのだ。

 ライブにおける精神状態というのは異質なテンションである。そこらのフォークグループとは訳が違い、エレカシはせっかくのロックンロールバンドだ。「日常の延長」であってはならない。「髪伸びたね」は明らかに日常である。しかし宮本浩次にしても他のメンバーにしても生きている以上「日常」の中に生きている訳で、休みの日には支笏湖やヨドバシカメラにプレステ2を買いに行ったりもしている。そんな日常をライブというハレの舞台で「化けの皮を剥がしに行く」精神状態にまで高めているのだ。

 私はZepp札幌に早めに着いてしまったので、鍵穴から漏れてくるリハーサルの音を聞いていた。「悲しみの果て」だ。歌詞を歌わずに叫んでいた。カート・コバーンのようだった。

 冒頭で「宮本浩次自身がこの問題に直面してしまっている」というのは、声をかけた客に対して一度「お前うるさぃ、出て行け」といいながらも、空気が静まりかえってしまったこの「空間をどうしたらいいか」ということを考えてしまったことだ。

 「フレンドリーでいいじゃないですか、最終日だし・・・フレンドリーでまぁね・・・俺の部屋に来たみたいにくつろいでくれ・・・って忌野清志郎は言ってたけど・・・僕の部屋は落ち着かないですよ・・・」正確に計った訳でないがおそらく15分から20分近く語りを始めた。「語り長いですか?まぁ、さだまさしの記録は破れないでしょう」・・・徐々になごむかと思えば最後まで静まりかえってしまった。

 エレカシがフレンドリーである必要は何処にもない。しかしながらも、エレカシにフレンドリーを求めるファンの方が多くなってきているのも事実なのだ。最終的には「売れてるヤツの勝ち」みたいな雰囲気の日本でエレカシは「売れていない」にも関わらず「勝ちに行こうぜ」と叫ぶ。いや、売れてないからこそ「勝ちに行こう」と歌っているのだとしたらどうだ。商業主義に押しつぶされたカート・コバーンは結果的に「負け」てしまったではないか。

 「金があればいい」「金だけあってもダメだ」「でたらめでもなんでもいい」「でたらめなんかじゃダメだ」・・・宮本浩次は極端な矛盾の中で叫び続ける。それが彼にとって生きるということなのだろうか。そんな矛盾に最大限共感できる俺達も含めて、無様な息を吐き続ける宮本浩次を見過ごす訳にはいかないのである。もちろん宮本浩次がいい人である必要なんか何処にもない。友達でもなんでも無いからだ。

 とは言う物のあまり深刻に考える必要も無い。私は音楽は純粋に楽しめばいいと思っている。音楽をやたら文章で考察したがる「ロッキン・オン」的見方はあまり好きではない。実際この日の「今宵の月のように」で私は少し涙がうるうるしてしまった。ライブで歌詞が染みすぎたのだ。ミヤジが目の前で歌う「今宵・・」。今まで何十回、何百回聞いてきたというのに一体どういう訳だ。


『敗北と死に至る道が生活』その263
 カレーが嫌いな人はあまりいないと思うのだがどうだろうか。振り返ってみれば、父は随分「辛口カレー」だった。「お前なんかに喰わせるカレーなど無い!!」と。

 現代の子供は顎(あご)が弱っていると聞いた。「小顔」なんかも実は顎が発達しない結果だと言われている。スルメなんかも食べないのだろうか。確かに”キョンキョン”がスルメ囓っている姿は想像出来ない。そうかと思えば”片桐はいり”なんかだとスルメ丸ごとくわえてんのかと思うような勢いだ。

 現代っ子はハンバーグやらプリンやら「柔らかい食べ物」が好きなんだそうな。「現代っ子」という言葉自体が既にかなり年寄りっぽい発言だけれども。

 カレーなんかも食べやすくして、お母さんが混ぜてくれるらしい。中には一度噛んでから口移しする親もいると聞くから話は穏やかではない。鳥か?と思えば幼児なんだそうだ。

 私の母も一度消化してから食べさせてくれた程である。端から見れば「うんこ」に見えるのだが、母はカレーだと言い張っていた。

 今夜もインド人はカレーとうんこを扱う手を厳密に分けているらしい。


『敗北と死に至る道が生活』その264
あなたは日本国内で一番好きな都道府県というものを明確に意識したことがあるだろうか。それには全ての都道府県に実際に行かなければならないし、例え一度行ったとしても、それでその土地の全てを分る訳でもない。例えば季節によっても違うし、行ったときたまたま天候が悪ければあまりいい印象が残らない。私はこういった理由から旅をやめた。

旅をやめて旅行に切り替えたのである。ゴールデンウィークは鹿児島に行って来た。何故ならば、私が日本国内で一番好きな都道府県が鹿児島だからである。東京の人は九州に行くとなると、博多・湯布院・長崎・阿蘇あたりだろうか。鹿児島に行くという機会があまりないかもしれない。鹿児島は最南端なので通過点にもならない。つまり鹿児島に行こうという目的以外には鹿児島に行かないのである。そこが埼玉と違うところだ。東京から新潟にスキーに行こうとしたら埼玉を経由しなければ行けない。千葉・茨木・栃木と迂回すればいいのだが迂回する意味がよく分らないのである。

鹿児島は本当に良いところだ。まず繁華街(天文館)が小さい。東京は繁華街が点在していて不便だ。そして路面電車が走っている。歩きながら見ると本当に風情がある。車から見ると本当に邪魔くさい。右折待ちで線路内に立ち止まるのが果して正しいのかさえ分らない。更に火山灰が降るので晴れた深夜でも傘をさしている人がいる。雨が降ればほぼ全員が傘をさすほどだ。おみやげには仙台銘菓『萩の月』をパクッた『かすたどん』がある。

もっと南に行けば指宿には生き埋め地獄の砂蒸し風呂。夏になるとスイカ割りの棒を持った子供がオプションとして追加される。どぶに鯉が泳いでいる知覧。富士山をパクッた開聞岳がある。知覧のお茶畑から眺める開聞岳は絵に描いたようだ。何故ならば字に書いてもよく分らないからだ。もっとも私は、桜島がどーんと構えているだけで満足なのだが。鹿児島は人が優しい。行く度に自分の傲慢さを反省してしまうほどだ。優しさの波動が土地からも人からも溢れている。それが中島美嘉の出身地でもある鹿児島だ。


『敗北と死に至る道が生活』その265
さまざまな逆境を乗り越えて苦労して見た「伊東家の食卓」でこんな裏技が紹介されていた。

「突然の来客でビールが冷えていない。そんなとき手軽にビールを冷やす方法!!」

あらかじめ凍らせておいた”おしぼり”をビール瓶や缶に巻き付けて扇風機の風を当てるだけ!!ものの5分から10分で冷え冷え!!

この『あらかじめ凍らせておいた”おしぼり”』とは一体何なんだろうか。そんなものを凍らせておくぐらいだったら、あらかじめビールを冷やしておけっつうの。


『敗北と死に至る道が生活』その266
主に南極に住むと言われるその生物の実体は鳥類らしい。一羽と呼ぶべきなのか1匹と呼ぶべきなのか・・・。そんなことは人間の都合だ。どうだっていい。大航海時代の冒険家が南極大陸を発見し、そこに住むあの「ペンギン」を初めて見たとき、随分びっくりしたことだろうと思う。

「鳥が立っているじゃないか!!」

ペンギンはかつて温帯に住んでいた。様々な外敵に襲われた結果、南へ南へと生息地を移動していき、最終的には氷の世界に住むことになる。逃げるが勝ちだ。そのペンギンの中でも「皇帝ペンギン」は更に特殊な環境を選んだ。皇帝ペンギンは身長150cm。かなり大きい。南極にだって夏と冬がある。夏はオキアミなどのエサも豊富にある。

しかし皇帝ペンギンは冬に出産をする。冬であれば外敵の活動も少ない。ところが同時にエサも少ない。しかし皇帝ペンギンは冬に出産をする道を選んだ。全ては子供が未熟な状態での外敵から守る為だ。自分を犠牲にしてまで赤ちゃんペンギンの安全を選ぶ。体も南極に適応し、静脈は動脈にらせん状にからみつき、少しでも冷えるのを抑えた構造になっている。

真冬に母親が産んだペンギンの赤ちゃんはすぐに父親の足下に入れられる。少しでも外気に触れるとたちまち凍死してしまうのだ。父親が暖めているその間、母親はエサを食べに海岸に行く。夏場は海岸だったその土地も冬はおよそ100km先まで氷が張っている。

母親ペンギン達は黙々と100km先の海を目指す。ペンギンの時速はおよそ1km/hだ。およそ20日間吹雪の中をゆっくり行進していく。

自分の分を食べ終わった母親は子供のためのエサを確保する。ところでどうやって運ぶのだろうか。胃袋の中にため込み胃液を停止し消化吸収を抑えるのだ。

同じ道を20日間かけて戻る。子供にエサを与えると、今度は空腹の中20日間立ち続けて子供を暖めていた父親達が海を目指す。

ただひたすら歩く。

母親達は吹雪の中団子状の集団を形成し、風上に立っていた列が徐々に風下の列へと移動しながら交代でお互いの寒さを緩和している。

運悪く子供が死産してしまった母親も数匹。そんな中1匹の赤ちゃんペンギンが母親の足下から出てしまった。子供がいない母親達が殺到する。母性本能なのだろうか、赤ちゃんペンギンを自分の足下に入れようとする。結果は赤ちゃんペンギンがボールになってサッカーをやっている様な光景となる。真冬の南極では10分ともたず凍死してしまう。

死んでしまった赤ちゃんペンギンの死体の元へ母親ペンギンがかけよる。固い。固くなってしまった赤ちゃんペンギンを何度と無くくちばしでつつく。それでも諦めきれない母親は足下へしまい込もうとする。

母親は天を仰ぎ虚しく一声泣いていた。


『敗北と死に至る道が生活』その267
犬は人の数千倍の嗅覚を持っていると言われている。しかし犬同士はお互いのケツの穴を平気で嗅いでいる。例の匂いの数千倍。例の匂いの。

『例の匂いの数千倍』ですよ、食事中のみなさま。

戌年の人と犬座の人には申し訳ないが、犬と聞いてあまりいい印象は浮かばない。「負け犬」「犬死に」「犬の遠吠え」「犬の腐ったような奴」「鬼の犬まに」・・・。

私は犬の精神構造が大嫌いだ。人間に飼われていればいつでも飯が食えると思っている。首に輪を巻かれても取る素振りも見せない。だいいちうるさい。何のために生きているのか分かっていない様子さえない。動物の中で最低な動物なのだ。

なんでケツの穴の匂いを嗅ぐのだ。そしてひとたび後ろから行ってケツの穴を思い切り蹴飛ばせば「キャンキャン」言いながら逃げる。あのきょとんとした媚びたような目つきはなんだ。嬉しいときには尻尾を振り、いかにも「私は嬉しいのだ」とアピールする。クールさの微塵もない。男だったら嬉しくても笑わないことだ。何があってもドーンとクールに構えていなければだめだ。そのくせ人間を噛み殺すこともある。安産のシンボルだというがあんなものは嘘だ。犬はかなり難産だと聞いた。ソロバンもあまり得意じゃないらしい。


『敗北と死に至る道が生活』その268
私は動物占いで『群れから外れた羊』だ。が、しかし中身は羊の皮を被ったヤギだ。

収納が多い家は使いやすいというが本当だろうか。季節物を入れておくスペースさえあれば他に収納など要らないのではないか。貰った鍋やシーツ。いつか使うかもしれない小物。そんなものを押し入れの奥にしまったら二度と使わないのだ。存在すら忘れてしまっている。邪魔なので捨てようとしていたクラッシュのアナログ盤を売りに行ったら意外に高値で売れた。サンディニスタが2,500円。ロック・ザ・カスバのシングル盤が1,200円。洋楽のSP盤は貴重らしい。カット・ザ・クラップは LP でも 300円か(汗)。全部で15,300円にもなった。帯の有無で査定が大きく違うそうだ。私は中学生の頃から帯を捨てずにつけておく習性だった。ストーンズのジッパー付とコンドーム付もかなり高額。両方とも自宅にあるから今度売ってしまおう。昨日までのがらくたを処分処分。部屋も片付く。


タイトル 番号 CD/LP/SP ジャケット 買取額
THE CLASH 25.3P-67 LP 有り 良好 良好 2000
GIVE 'EM ENOUGH ROPE 25.3P-36 LP 有り 良好 良好 1500
THE CLASH 25.3P-139,140 LP+SP 有り 良好 良好 1500
SANDINISTA! 49.3P-253,254,255 LP3枚 有り 良好 良好 2500
COMBAT ROCK 25.3P-353 LP 有り 良好 良好 1500
CUT THE CRAP 28.3P-698 LP 有り 良好 良好 300
CLASH SONGBOOKS 海賊版 LP2枚 なし 汚れ 良好 1000
THIS IS ENGLAND 12.3P-667 12inchSP 有り 良好 良好 400
RADIO CLASH 07.5P-164 SP   良好 良好 700
THE CALL UP 07.5P-127 SP   良好 良好 500
KNOW YOUR RIGHTS 07.5P-177 SP   良好 良好 1000
ROCK THE CASBAH 07.5P-191 SP   良好 良好 1200
SHOULD I STAY OR SHOULD I GO 07.5P-223 SP   良好 良好 1000
THIS IS ENGLAND 07.5P-383 SP   良好 良好 200


『敗北と死に至る道が生活』その269
うちの母は耳が遠いのか頭の回転が悪いのか知らないが、その両方だと思う。何か話し掛けると1回目は必ず『えっ』と聞き返す。私の1回目の会話は必ず無駄になり、同じことを2回言わなければならない。そこで1回目に『いまから話すから、「えっ」て言わないでくれ』と言う事にしたが、それにさえ『えっ』と言われる。だめだこりゃ。


『敗北と死に至る道が生活』その270
私は鮨が嫌いな鮨職人を知っている。コンピュータ技術者の大半がマイクロソフトが嫌いなのと同様だろう。職人は内部的な仕組みを知っているが故に大胆な行動を取れるときがある。

例えば天ぷら職人は油の温度を指で計るし、近所の銭湯のオヤジもあぁは見えて素手でお風呂の湯加減を見ているという噂だ。しかし逆に内部的な仕組みを知っているが故に大それた行動を取れないときもある。

コンピュータ技術者は(PC)Windows起動中にマウスやキーボード操作をしない。起動中は動作が不安定なことを知っているからだ。Windowsがマルチタスクだということも頭では分かっているが、Windowsのメモリ管理がごちゃごちゃしていることを知っているからである。

このことを踏まえると漁師は魚を食べないのだし、農家は野菜を食べない。医師は病院に行かないのではないだろうか・・・。なんてことを考えていたら青森のマグロ漁師は釣った魚は売って、スーパーで刺身を買う。


『敗北と死に至る道が生活』その271
私は関西の人が日本に属していることに対して反発しないかどうか不安なのである。こんなシステムの中で関西はやっていけているのだろうか?こんなつまらん国に属しているんはやめて独立宣言しないだろうか。申し訳ないなぁ。関西がなかったらお笑いに関しては全然だめだ。東京系でもたけしとか爆笑問題とか天才がたまーに出るが、たまーにだ。だから関西人でつまらない奴は一番かわいそうだ。出来て当然といった土地柄なのだから。

きらきらアフロのオセロの白おもろいなぁ。鶴瓶と2人だから生き生きしている。上岡龍太郎に転がされてたパペポの頃の鶴瓶のようだ。その他大勢一緒だと俄然やる気がなくなるらしい。きっとオセロの黒がしっかりしてるからだろう。本番中眠くなるらしい。パッとカメラが自分を写しても以前なら笑顔作っていたが、最近は『もう遅いわ』とボケ顔のままだと言う。ぶっちゃけすぎやで。自分。


『敗北と死に至る道が生活』その272
いくら旅慣れた私でももう少し庶民の気持ちに近づこうという意志はある。例えば手荷物検査の行列に私はいつも並ばない。面倒だからだ。「出発時刻間際なのでちょっと失礼」を略して「すんまへん」と一言言えば誰だって入れてくれるのである。だからって並ばないのは失礼じゃないか。しかも出発時刻には余裕で間に合うのである。やっぱり失礼なのだろうか。

乗ったら乗ったで飛行機のトイレのドアはどういう開け方になっているのだ。ご老人などは開け方が分からずに、中に人がいるもんだと思いこんでずーっと待っている場合がある。そんなとき私は親切なので、ご老人の目の前で開けてやるのだ。もちろん自分が入る為だ。

いくら旅慣れた私でももう少し庶民の気持ちに近づこうという意志はある。例えばなるべく手荷物を預けたくない。到着時にターンテーブルから荷物が出てくるのを待つのが面倒だからだ。とはいうものの機内に持ち込めるサイズは制限されていて、混んでいたら尚のこと預けざるを得ない。

俺「これ機内に持ち込めますか?」
飛「ちょっと大きいですね」
俺「中にパソコン入ってるんだけど」
飛「取り出してください」
俺「別に壊れてもいいですから」
飛「それじゃ手渡し品として預かります」

と一言言えば誰だって「手渡し品」にしてくれるのである。フラジャイルのシールも貼ってくれる。到着時にターンテーブルより優先して係員が手渡ししてくれるのだ。しかも中にはパソコンなど入っていないのだ。やっぱり失礼なのだろうか。


『敗北と死に至る道が生活』その273
考えてみれば「ヨドバシカメラ」も「さくらや」も10%還元などと宣伝しているが、あらかじめ表示価格に10%上乗せしているに過ぎない。現に他の量販店の方が表示価格は安い。私はあのポイントカードというものがうざったくて仕方がない。「還元された」のでなく「還元されてはじめて普通の価格」で買わされているのだ。だからカードを使わざるを得ない。

「カード1枚で便利」だというが、店から見れば1枚だが、消費者としては各店のカードを持っている以上複数のカードを持ち歩かなければならない。ならばカードなどにせずあらかじめ安くして貰った方がよいのではないか。こうなったらヨドバシで、さくらやカード出していやがらせでもするしか道はない。

「オープン価格」というのもよく分からない。せっかくカタログを見ているのに大体の値段が書かれていない。100円なのか100万円なのか分からない。検討の余地もないのだ。


『敗北と死に至る道が生活』その274
久しぶりに実家に帰って恐ろしい物を発見してしまった。それは階段の踊り場に作った棚の上にあった。白い箱である。何を入れたのか分からなくなってしまうので黒いペンで内容物を書いてある。付近には「シーツ」「せっけん」「皿」などと言ったおそらくお中元やお歳暮で貰ったはいいが、ちょっと置いておこうといったものが並べてある。問題は「コウモリ女物」と書かれた箱である。「コウモリ女」のかぶり物であることは想像に難くない。果たしてうちのお袋はのんきな顔して「コウモリ女」だったのだ。世の中が信じられなくなった。

でも散らない桜は無い。同様に人はやがて死んで行くのだ。一生懸命頑張ったって必ず死んでゆく。こうなると銀行強盗でもやって鬼ごっこした方がよっぽど楽しいのではないか。と、ボニー&クライドのような心境に誰もが陥りがちだろうが、俺は米とジャガイモでも栽培してひっそりと静かに暮らしたい気持ちで一杯。それはきっと春の精だ。

春だからかどうか知らないが時計が壊れちまった。壊れたと言っても確実に時を刻み続けてる。時刻調整が出来ない。日付やアラームの調整も出来なくなってしまった。電池が切れた時点でこの時計も使えなくなることだろう。ひとつ困ったことにはアラームをセットしたままOFFに出来なくなってしまった。常に午後3:46分に「ピピピ」と言う。まぁ夜中じゃないのが不幸中の災(わざわ)いだ。さて次はどんな時計を買おうか。機械としての時計に宇宙としての時速が加味され、人は何故か壊れたことを喜びがちだ。どうせ死んでしまうのに。

ぽかぽか陽気に誘われていないだろうか。ぽかぽか陽気は誰だって誘う。なんて軟派な奴だ、ぽかぽか陽気って奴ぁ。俺はそんなにヤワな男でもなくむしろ横柄で卑屈な性格をそろそろ改めようと考え直したりしてみるのだが、どうせ死んでしまうのだからまぁいいか。なんて、いろいろ悩んでいるのも事実として認識せざるを得ないのが大いに不本意だ。そういう訳で春は死と殺戮と車と宇宙とそしてメンバーは立っている。みたいな感じでうららかに過ぎてゆくのだ。

あぁあ。どうせ死んじまうっていうのに人は生きている。こうなると宇宙の存在意義が分からない。宇宙から見れば地球なんかどうだっていいのだ。あろうが無かろうが宇宙には何の影響もない。むしろばい菌のような星で気色悪いのかもしれない。地球が存在しないからといってどうだ。神を認識する生命体も居ない。宇宙の存在意義が分からない。あぁノイローゼ入ってきた。涙流れてても今夜、アスピリン片手にジェットマシン。生命。死刑宣告。


『敗北と死に至る道が生活』その275
人はいつ死んでもおかしくない。自分に明日があるなんて思っていた矢先に路線バスの事故で死ぬかもしれない。だから迂闊(うかつ)な物は残せないのだ。ナンシー関の部屋を整理するナンシー関の両親の気持ちを考えたことがあるだろうか。少なくとも私はないのである。

部屋を整理するには、何が必要で何が要らないかという非常に単純明快な判断で整理出来る。(TV)テレビや冷蔵庫はおそらく要るのではないか。そういう判断で言うと『本』の大半は不要である。料理本や辞典などを除いて、一度読んだ本は二度と読まない。二度読みたいのならまた買えばいい。ブックオフなんかに持っていっても20円から50円だ。運賃や時間を考慮したら捨てた方がマシだ。どうせ捨てるのなら買わなければいい。そうだ。図書館はタダだし、捨てられない本が増えるということもない。

酒もタバコもやらない私は趣味もなくなり、ただ生きている。今のところ漬物をつけるのだけが趣味だ。漬物に黒コショーなど入れてみる。創作漬物だ。こんなものが楽しいだなんてケツが裂けても人には言えない(汗)。


『敗北と死に至る道が生活』その276
スカパーに契約しながらもあまり見る機会がない。せっかくだからと、いくつかののチャンネルがパックになっているものに契約しているのだが、チャンネル数が多すぎてどこで何をやっていて、何を見たらいいのか分からなくなってくるのだ。それを調べるだけで小一時間。テレビなど見ている暇もない。そして金払ってないNHKなんかを見たりする。わけわからん。

これだとインターネットにも似ている。どこかにすごく面白いページがあるのだろうが、それがどこにあるか知らない。来月から Viewsic だけの契約にした。もし他が見たければその月だけ契約すればいい。ずいぶん無駄に金を使っていたようだ。最近節約に凝っている。

情報は多ければいいというものではない。必要な情報を的確に知ることが出来ればむしろ少ないほうがいい。それに相反して不必要な情報から何かひらめくこともある。と考えれば東京で見る地上波チャンネルのように新聞1ページで一覧出来る程度が適度なのかもしれない。

しかしニュースやバラエティで『このあと驚くべき・・・でCMまたぎ』っつうのやめてくれないか。驚くかどうかは視聴者が決めることだし、CMまたぐ程のものでもないことが多い。


『敗北と死に至る道が生活』その277
坂口安吾は自分の頭の中に沸いてくる文章が原稿用紙に書く速度に追いつかないことを嘆いている。彼がブラインドタッチを覚えたとしたらどんな堕落論が書けただろうか。きっと勢いのある堕落論になったことだろう。それはおそらく堕落していないに違いないのだ。


『敗北と死に至る道が生活』その278
そんな春の午後、あなたの人生は平坦ではないだろうか。人生山あり谷ありだと疲れる。「なみへぃ」のような生き方で十分だとも言える。実家の近所に酒屋がある。三河屋さんではない。俺が中学生のころの通学路なのでよく覚えているのだが、そこの店主は未だに店主だ。多少老けたが、あのころの人と同一人物だろう。20年近く前から同じ仕事をしている。

毎日毎日酒を売っている。配達している。飽きもせず。立派だ。一つの職業を立派にやり遂げる。日々の生活はややもすると飽きがちだ。何が足りぬ。そう思って旅に出てしまう人は一体どういう訳だ。狩猟民族と農耕民族の違いか。ともすれば私は狩猟民族なのだろうか。一定の場所で安定した暮らしが出来ない。「終わり」が無いと落ち着かない。つまらぬ日常が繰り返すのが怖いのかも知れない。


『敗北と死に至る道が生活』その279
私は父親の死に目に会っていない。携帯電話が普及した時代。緊急な場合は外出中でもコンタクト出来る。かなり凄いことではないか。原始人が狩りに行っていたならば、その間に愛する妻が子供が家族が急病で苦しんでいるかもしれない。そんなとき携帯電話があれば何かと便利だっただろう。結果的に距離が遠くて行けないとしても、「その時を思う」という同時性は大切なことだ。

本当に良い時代になったもんだ。だから携帯なんかで出逢い系なんか見てる場合じゃないのだ。きちんと真面目に使わなければ原始人に叱られる。具体的に言えば棍棒で殴られるのだ。

そんな便利な時代なのだが、私は父親の死に目に会っていない。何故ならば父親は元気に、今朝も盆栽の手入れをしていたからだ。


『敗北と死に至る道が生活』その280
私は選ぶのが苦手だ。漢字で言うところの優柔不断か。これを逆手にとって「選ぶのが得意」なことにしている。要するに比較検討が面倒くさいだけなのだ。例えば羽田から札幌に行くとする。JALやANA、JASと言った大手からエア・ドゥなどという航空会社まである。しかも各社特売り切符があったり、インターネット予約すると安くなったり、連休中は適用されなかったり、早朝便は安かったり、貨物便には乗れなかったり、国際線と交錯しそうになったり、グレイの絵が描かれた機体はどうなっちゃったんだとか悩んだりする。おそらくグレイじゃなくてホワイトで消されたのだろう。

これだけさまざまな種類があると「選ぶ」という作業だけで「旅」に行く前に、どっと疲れてしまう。そんなことを考えている暇があったら旅でもしていた方がよっぽどいい。私はこういうのを比較検討するのが大嫌いだ。こうなるとアンチジャイアンツの様な理屈で成り立つ。大手じゃなければどこでもいいという理屈だ。色々調べて、1万くらい差があるのなら調べても良いが、たかだか数千円得をするために悩むなんて馬鹿馬鹿しいことこのうえない。そういうのは貧乏人に任せて我々のようなベルベット貴族は小型機の1台でも買った方が話が早いのではないか。話が早いったって黒柳徹子ではない。

私は自分の発言が理路整然としていないことについて、もどかしさと腹立たしさを誇りに思う次第である。例えば半年前に発言した情報に基づいて「あのときこう言った」と言われても私は覚えていない。覚えていないどころか、今現在はそんなこと思っていない場合が多い。そうなると相手は「嘘をつかれた」と思わざるを得ない。私自身ももしかしたら嘘をついたのかもしれないと思ってしまうありさまなのだ。私は「嘘をついた」覚えなど無い。なにせ覚えていないのだ。覚えていないから私が何を言ったのか相手から教えて貰う。教えて貰った情報を頼りに話を組み立てるとかなりの矛盾が生じてしまう。だが、こうした矛盾こそが人生なのではないだろうか。

なんでも「人生」に例えると許せるから不思議だ。私は単なる無責任発言男なのだ。だから許してくれたまえ。


『敗北と死に至る道が生活』その281
日本人は潔癖症だ。やれ除菌、抗菌。目黒寄生虫博物館にでも行って自分のキンタマに寄生虫が入り込んで頭より大きくなってしまって、歩くときに二人でかついで歩くの図でも見てきたらいいさ。

箱ティッシュは常に1組出ている。1組引っ張り出すと次の1組が出てくる。使う分の1組は常に外気にさらされている。そんなところウィルスが飛んでいた場合、常にウィルスがついた1組を使うことになる。便利と危険は常に背中合わせだ。

出向元の機密管理にサインをさせられた。パスワードは紙に書いたりしないこと。最低でも三ヶ月に一回パスワードを変更すること。でも私が突然死んだらどうなるのだ。資料にも残していないパスワード。誰も管理システムにさえログイン出来ない。つまり一千万円かけて作ったシステムをメンテナンスもできずに捨てることになる。やっぱりパスワードは固定で画面にマジックペンで書いておいた方が安全だ。『そこに入られた』ということはビル管理自体に問題がある。便利と危険は常に背中合わせだ。


『敗北と死に至る道が生活』その282
(銀)りそな銀行はボーナスゼロだそうだ。退職者には退職金なし。ちょっとやりすぎじゃないだろうか。金融機関がそんなことでどうする。『公的資金を貰ってまでボーナスを出す』。これが(銀)銀行のやり方だったはずだ。(パ)。偽札でも作ってすっとぼけるくらいの度胸もないのか。(パ)。


東北の地震でドコモが通信規制。一番必要な時になんで規制すんだ。(パ)。


なんだか社会を斬る!みたいになってきた。やめとこう。タバコ税払ってない私には何も言う権利がない。


ところで(NEW)最新はいつまで(NEW)最新なのだろう。やっぱり日付を書くべきなのだ。『(NEW)最新版』などと書いた日にはいつか古くなる。バックアップ媒体や資料に『(NEW)最新版』などと書かないことだ。でないと『(NEW)最新版』がいくつもあってどれが本当の(NEW)最新版かわからなくなる。エレファントカシマシのオフィシャルページも『New!!』がありすぎてどこが更新されたのかよくわからないのと同じだ。

とはいうものの、オフィシャルページの更新日が更新されたら私の(携)携帯に(メ)メールがくるように設定してある。どのページのどこが更新されたのかは手探りなのだが。(汗)

もちろん私の手作りシステムですが。これを一般の方にも公開しようか、どうしようか。必要な方いますか?必要だというメールが1通でも来たら公開しようか。どうしようか。どーでもいいか。


『敗北と死に至る道が生活』その283
「夏」 / アルベール・カミュ

 真夜中に、1人岸に立つ。いま少し待ち、そして私は出発するだろう。空自身もまた、すべての星とともに停止している。ちょうどこの同じ時刻、世界のいたるところで港の暗い水を照らしているあの灯火に覆われた商船と同じように。空間と沈黙とはただひとつの重みとなって心にのしかかる。突然の愛、偉大な一作品、決定的な行為、変貌する思想もまた、ある瞬間、逆らいがたい魅力と重なった同じ耐え難い不安を与える。存在することの甘美な苦悩、名を知らぬ危険のえもいわれぬ接近、生きるとは、してみればその破滅に向かって走ることか?改めて、休むことなく、われわれの破滅に向かって走ろう。

(滝田文彦訳)


『敗北と死に至る道が生活』その284
電化製品が入り乱れた現代物質文明社会構造に置いて、於いて問題なのは、ACアダプタが産卵し、散乱し、一体どれがどのACアダプタなのか分からなくなるということだ。大体付属品というものは無くす為にあるんじゃないかと私は現代物質文明社会構造に生きながらえた挙げ句の果てに呆れかえっていたのだ。

一応メーカーの刻印があるのでそれを頼りに当てはめていったのだが、「AIWA」と掻かれた、書かれたACアダプタが余ってしまった。まぁ本体が余ってACアダプタが足りないよりよっぽどましなのだが。

私も一応現代物質文明社会構造に生きていた時代は電気屋に勤務しており、ACアダプタが何をするもので、メーカー指定じゃなくても使えるということを知っている。今後の進路変更の為にも知りたくない人も知っておいた方がよろしかろう。から教えよう。

ACアダプタはACをDCにするものである。つまりAC/DCだ。地獄の鐘の音やランドセルが思い浮かんだ人はかなりの電気通といえる。電通じゃないぞ。あそこと合コンやると大変な目に遭うらしいから気を付けた方が身のためだ。

そして出力電圧と電流さえ合えばどのメーカーのだっていいのだ。昔は外側がプラスで内側がマイナスというふざけた仕様のものも出回っていたが今は外側がマイナスで内側がプラスの筈だ。ところが年々小型化されている電化製品はアダプタの接続部まで小型化されているから使えるのにも関わらず形状が異なるために使えないということになっている。

パソコンのSCSI製品も煮た、似たようなことが言える。マウスなんかUSBのくせに小さな変換アダプタでPS/2ポートに刺さ、差さったりする。一体中で何をやっているんだ。おそらく血栓、結線されているだけなのだ。つまり入力された信号を加工して出力しているのでなく、入力された信号をそのまま出力しているに違いない。こうなると形なんかどうだっていいことになる。1本1本の線を色分けして剥き出しにしておいてくれた方がよっぽど便利ではないか。

形状が異なるだけの為にいちいち変換アダプタが必要になってしまうのだ。メーカーはこうやって小銭を嫁いで、稼いでいる。話がややこしくて分からない人は掃除機の紙パックは無い方が便利だということで納豆喰っていただきます、納得して頂きたい。
(当ページはモンドセレクション受賞予定です)


追伸.ハードディスクが残り少なくなりましたら底のミシン目にそって内側に折り曲げますとパソコンが持ち上がります。


『敗北と死に至る道が生活』その285
大崎は山手線の終点である。よって大井町の方まで電車が入る場所がある。大井町駅から見えそうな勢いである。ところが大井町から山手線に乗るには京浜東北で品川まで出て乗り換える。山でもないのにスイッチバック方式で山手線に乗るわけだ。この辺に住んでいる人は品川から大崎まで行く途中で我が家が見えたりするのだ。

羽田から飛び立つほとんどの都民が我が家を下に見ながら『俺んちじゃないか』となんだか悲しい気分になるのもそのせいだと言われている。

ケネディ宇宙センターから飛び立つほとんどの向井さんが地球を下に見ながら『私の星じゃない。そしてあそこに立っているのは私の旦那。彼の方が宇宙人みたいだわ』となんだか悲しい気分になるのもそのせいだと言われている。

これほど馬鹿馬鹿しいことがあるだろうか。あるのだ。例えば高速道路のインター近くに住んでいる人はいいが、高速道路の真横に住んでいてインターまで5kmという人は5km車で走って高速道路に乗って、やっと走ったら我が家の横だったりするのだ。毎日騒音を貰っているのに、そういう不便なことでどうする。


『敗北と死に至る道が生活』その286
ネバーランドへようこそ。

布団に入りながらず~っとプラモデルの作り方の本を読んでいた。キットだけは買ってあるのだ。タミヤの1/20コレクション「フェラーリF1-2000」と「マクラーレンメルセデスMP4/13」だ。指定された塗料も買ってきてある。それを塗る筆も買ってきた。ニッパやカッター等の道具も一通り揃えた。

こんなもん作る過程が楽しいだけだ。私はこれを完成させる予定はない。夜に備えて私はもうしばらく寝ることにした。人はこんなに眠れるものだろうか。「睡眠」は意外に体力を使うとみのもんたが言っていた。確かにそうだ。寝ると疲れる。「入浴」も意外に体力を使うとみのもんたが言っていた。確かにそうだ。「食事」もなんだか疲れる。日常生活はかなり疲れる。いっそのことフルマラソンでもした方が楽なのかもしれない。

そう考え室内で「らくらくステッパー」を踏み続けた。機械でトレーニングするくらいだった外を走ればいいじゃないかと人は言う。だが外を走ると足の裏にかなりの衝撃がある。たいていの人は片足づつ交互に走るからだ。瞬間的に見れば片足に全体重どころか走るというエネルギーまで加わって加速度的にGがかかる。そして重力により血液は足の裏にたまる。これを踏みつぶしているのだからひとたまりもない。足の中で赤血球を潰しているのだ。

過度の運動を行った後で小便が赤くなるのは潰れた赤血球が出てくるからだ。体にいい訳がない。「らくらくステッパー」はステップが足にくっついたままだ。踏んでも踏んでも前に進まない。俺はマイケルジャクソンか。

あー。こうしてまた無駄な休日をひとつやり過ごした訳だ。あなたはどう思う。


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